■ヨセミテバレー
 1851年に発見され1890年に国立公園に指定されました。ヨセミテバレーはシェラネパダ山脈のほぼ中央に位置する氷河に浸食されたU字型の渓谷で、深さは約1000m、幅1600m、長さは約11.5kmあります。公園全面積のたった数パーセントにすぎないこの谷の中に、ジョン・ミュアが言ったように「自然の造った最高の宝物が詰まっている」と。

 ヨセミテの特徴は、大部分を覆う花崗岩とそれより古い岩の組み合わせにあります。今からおよそ2500万年前、このあたりはなだらかな山で、そのなかをマーセド川がゆったりと流れていました。およそ1,000万年前にシエラネバダ山塊が隆起しました。その後西側の緩やかに傾く高原と、東側の急峻な山肌を形成しました。この傾斜により川の流れは激しさを増し、湾曲して山をえぐり急峻な渓谷を生みました。

 200万年前頃になるとマーセド川の浸食が進み、ヨセミテバレーは深いV字谷となりました。氷河の彫刻した巨大な岩峰、清冽な雪解け水を集めた大小無数の滝と渓流、氷河の名残の湖など、どれをとっても神秘的な雰囲気をもっています。この美しい景観ができるまでには、膨大な時間の流れと想像を絶するエネルギー、そしていくつかの偶然が作用しました。約7万年前の氷河期、この渓谷は厚さ1000mの氷河に覆われました。氷河は東から西へ流れ、V字谷は氷河に削られて幅の広いU字谷に変化していきました。

 約2万年前、地球は急速に温暖になって氷河は後退し、谷底に大きな湖が出現しました。また、氷河がなくなって足場を失った河川は、氷河が剃った1000mの絶壁から流れ落ちる滝となったのです。氷河の流れによって作られたU字谷の美しい景色が、今も訪問者を魅了しています。
 ビレッジの直上975メートルにあり、このU字型の渓谷を見下ろせるグレーシャー・ポイントまで登ると「う〜ん、なるほど氷河で削られたんだ!」と実感できます。


アメリカ大自然紀行


Yosemiteのこと。


ヨセミテ Yosemite。

 野生の動物にアッチコッチで出会います。リスがそして鹿がこんな近いところまで来ます。・・が、触れたりエサをあげたりしてはいけません。あくまで自然に・・が基本です。

★Yosemite

Santamonica
Venis Beach
Marina Del Rey
Beverly Hills
Hollywood
Universal Studios Hollywood

★LA County

■サンタモニカ Santa Monica

■ニューベリー・スプリングス Newberry Springs

■オートマン Oatman


■セリグマン Seligman

■ウイリアムズ Williams

■NHKTV映画「ルート66」


■テーマソング ルート66

■エルキャピタン El Capitan 下の写真
 頂上は、谷底から1097mの高さにあり、花崗岩では世界最大の一枚岩です。バレーに入り、ブライダルベール滝(CA41)方面と分岐するとすぐに正面に見えて来ます。谷底から1097mの高さに垂直にそびえているため、ロッククライマーの憧れの的にもなっています。夏には岩肌にへばりついているクライマーが挑戦していますが、岩壁があまりに大きいので、中腹以上になると双眼鏡がないとほとんど見えないそうです。登頂者はこれまでにおよそ8000人。普通は2〜3日かけて登攀しますが、最短記録はなんと2時間48分!最高齢記録は、10日間かけて登った81歳の男性だそうです。

★Meteor Crater

★Petified Forest National Park

Sedona

Yosemite

★アメリカ横断 MotorCycle Journey

★Mariposa Glove

★Jerome

★Sedona

★Route 66


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Google による Yosemite Vally

■ヨセミテは初めて連邦政府により指定された国立公園です。国立公園は、連邦内務省の国立公園局がすべての管理をしています。従って日本の観光地と違って、やたらお土産屋があったり、客の呼び込みをしたり、音楽をガンガン鳴らしたり、野生の動物に餌付けをしたり・・なんてことは出来ません。指定の業者がルールを守って営業しています。トレイルもきれいに整備されており、レストランもゆっくり寛げるようになっています。こうでなくちゃ・・。ヨセミテ国立公園は世界遺産に指定されています。

トンネルビュウから見たヨセミテバレー。

グレイシャーポイント Glacier Point
カリービレッジの頭上にそびえる絶壁のてっぺん。標高2199mのパノラマ展望台です。ヨセミテ・バレーから車で30分位でしょうか。ここからの眺めは最高で正面にハーフドームが、真下には箱庭のようなバレーが広がります。バレーの下から回りをみていると、あまり感じませんがここから見るバレー全体はまさに「氷河に削り取られた・・」ことが納得できます。ハーフドームの左奥からU字型の氷河の跡がうねって見え、「う〜ん・・」です。本当はここから全体を見てから、ヨセミテバレーに行くといいかもです。私たちはバレーをみてからここに来ました。

■ハーフ・ドーム Half Dome
ビレッジの右側に見える、丸いドームを縦半分にスパッと切り落としたような岩壁です。麓から頂上まで1443mもあり(標高は2693m)、氷河に削られた岩肌は2万年の風雪に耐えてきた存在感があります。バレー内でのビューポイントは、センチネル橋からの眺めが最高ですね。マーセド川の向こうにハーフドームが見え、見事な調和を見せています。多くの観光客がここで撮影しています。東側から頂上へ登るトレイルがあるそうで、DDはこの夏にトレッキングすると云ってました。
右の写真がそれです。

センチネル橋からみたハーフドーム

■ミラーレイク Mirror Lake
バレーの東端、最も奥にひっそりとたたずむ小さな湖です。渓流に沿って平坦なトレイルを30分ほど歩くと、山々を湖面に映す静かな湖に着く。湖岸から屹立するのはハーフドーム。
ここででは姿を見かけない動物たちに出合うチャンスも多く、すぐ傍までリスがやってきて、エサを探したりしています。ここではエサをやったりかまったりしないことです。この湖は雪解け水が貯まって出来るので夏〜秋にかけて干上がってしまうことが多いそうです。

■ヨセミテ滝 Yosemite Fa1ls
アメリカ最大の落差を誇る滝で、上下三段に分かれ、上段がアッパー滝とよばれ429m、中段がカスケード滝で203m、下段がロウアー滝で93mです。合計すると落差740mで世界第8位。ヨセミテロッジのすぐ裏にあり、1O分も歩けばロウアー滝の滝壷へ出ます。ゴーゴーたる音も凄いし、風としぶきで寒いくらいでした。

■熊について
 ヨセミテ国立公園を去る朝、ミラーレイク Mirror Lakeをトレッキングをする為に早い時間に公園の奥にある駐車場に車を停めました。ひょいと隣りの車(ジープタイプ)に目をやると、ドアの上部の窓枠部分が折れ曲がって外にネジレており、もちろんガラスは割れて下に落ちていました。サイドミラーも破損していました。

 車上荒らしでも居たのか・・と思って車中を覗いたら、泥だらけでした。ちようどそこにレンジャー二人が車でやってきました。彼らに知らせたところ、「あぁ、これは熊だ、ついさっきだねっ」と。車中には紙袋が残されており、レンジャーは「食べ物をおいていたから熊に狙われたんだ」と云いました。

 ここは誰かが飲み残したジュースのせいで。誰かが置き忘れた口紅のせいで、車に置き忘れた食べ物のせいで、熊が出没しています。今回は「親子だっ」とレンジャーが云ってました。

 国立公園はどこも生態系の破壊に頭を悩ませていますが、特にヨセミテではこのブラックベアが大きな間題になっています。人間の食べ物の味を覚えてしまった熊が、ビレッジやトレイルに頻繁に出没しているそうです。やがてだんだん攻撃的になって最悪だった2002年には、年間約1300台以上の車が原形をとどめないほどに壊されたそうです。

 熊の嗅覚はとても発達しているとのこと。犬は人間の100万倍の嗅覚を持っているらしいのですが、熊は犬の10倍の嗅覚と云われています。従って食品はもちろん、匂いのするものを車内やキャンプ場に置きっぱなしにするのは厳禁なのです。
 この駐車場には金属製の巾1m位、高さ50cm位、奥行き60cm位の頑丈なボックスが多数用意されています(上の写真 フードロッカーと云う)。車を離れる場合はこの金属製ボックスに食べ物はもちろん、セッケン、シャンプー、化粧品、歯みがき粉、食品を入れていた空のポリ袋などのゴミも全部入れて車を離れます。このボックスには鍵はありません。ロックは可能となっています。皆さん信頼関係でそのようにして車を離れるのです。
 こうした事を徹底し、国立公園を訪れる人が守らないと、ここに来ると「食べ物が手に入る・・」を学習し、人間を怖がらなくなって近づいてきます。人間に近付きすぎた熊には哀しい最期が待っているそうです。レンジャーは、いったんは熊を捕らえて山奥へ返すなどの措置を取りますが、それでもビレッジに戻ってきた熊や、人を威嚇するなど危険と判断された熊には、致死量の睡眠薬を投与します。レンジャーにとって最も過酷な仕事だと云います。いうまでもなく、問題は熊にあるのではなく、彼らを死に追いやったのは私たち人間なのです。
 ヨセミテを訪れる人すべてが、これらを守ることで数年と経たないうちに熊は山へ帰って行くはずなのです。

 帰りがけにその車をみたらまだそのままになっていました。フロントウインドウには張り紙がしてありました。「保険の手続きもあるので車の持ち主は事務所に寄るように・・」とのことです。DDが云ってました。「これで事務所に寄るともちろん保険の手続きもあるけど、最高$5000の罰金が待ってるヨッ」って。

■ヨセミテの歴史
 ヨセミテの最初の住人はアファニチ族と呼ぱれる先住民。彼らは外界から隔絶されたこの美しい峡谷で、長い間平和な生活を営んでいました。バレーが白人の目に触れたのは19世紀に入ってからです。猟師や毛皮商人たちがシエラネバダ山脈の奥へ入り込み、「ナイフでまっぷたつに切り落としたような岩山を見た」とか「何百メートルも空にそびえる巨木を見た」などと伝えられましたが、このときはまだ誰も信じる者はいませんでした。

 1849年、ヨセミテの運命を変える事件が起きました。ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアヘ向かっていた幌馬車隊が、ヨセミテの近くで先住民と衝突。政府の命を受けてマリポサ大隊が出動し、ヨセミテヘ向かいます。彼らは苦難の末にワウォナ高原を縦断して、ついにトンネルビュー付近に達しました。

 そして峡谷を一望したとき、誰もが天国の門の前へ来たと思い、静かに銃を地面に置いたと云います。1862年、伝説の風景を求めて3名の画家がヨセミテヘ入り、多くの作品を描きました。そのなかの1枚が後にセオドア・ルーズベルト大統領に贈られ、彼にヨセミテ行きを決意させたといわれています。こうしてヨセミテの神秘的な美しさは、たちどころにアメリカ全土に知れ渡っていきました。

 この頃、マリポサグローブのセコイアの森に魅せられ、その景観を守ろうと奔走する男か現れます。ゲーレン・クラークGalenClarkです。その努力が実って1864年、ヨセミテはアメリカ初の景観保護区となり、クラークは管理官となりました。そのすぐ後、のちにヨセミテで最も重要な役割を演じることになるジョン・ミュアもヨセミテを訪れます。
 彼もまたこの地にたちまち魅せられ、ヨセミテの保護運動に奔走することになります。そして1890年、ヨセミテは国立公園となり1903年、ルーズベルト大統領がヨセミテを訪問しました。
 この年、ヨセミテの美しさを世界に広めたもうひとりの人物、写真家アンセル・アダムスが峡谷を訪れます。このとき彼は14歳でした。後年、彼はヨセミテに住んで幻想的な写真を次々に生み出していくことになります。

 1927年にマーセドからヨセミテバレーへの道路が完成。1956年にヨセミテロッジ、1966年にはタイオガロードもオープンして施設のよく整った便利な国立公園ができあがりました。しかし、それでも増え続ける入園者には追いつかず、現在では慢性的な宿泊施設不足に悩まされています。
 国立公園の父、ジョン・ミュアJohnMuir国立公園の父と称えられるジョン・ミュアは1838年スコットランド生まれ。11歳のときに両親に連れられてアメリカヘ移住し、農作業を手伝いながらウィスコンシンの自然の中で過ごしました。29歳のとき、仕事中に目にケガを負い、1ヵ月間ほど視力を失いました。これがきっかけとなって「本当に自分が見たいものを見に行こう」と決意し、放浪の旅に出ます。インディアナポリスからフロリダまで1600kmを歩き、船でキューバヘ。
 当初は南米を目指していましたがマラリアにかかって断念し、パナマ海峡経由でサンフランシスコヘ。そして、ヨセミテを見に行きます。そこで彼は倒木を使って水車を造り、小屋を建て、羊飼いなどをしながら自然を観察。約5年間の滞在中に、ヨセミテバレーが氷河の浸食でできたとする説を発表します。地震による沈下説が有力だった当時、ミュアの説は馬鹿にされましたが、やがて彼は氷河の痕跡を見つけ、全米にその名を知られることになりました。ヨセミテを離れた後もミュアは自然保護を訴える文章を次々に発表。やがて結婚し安定した生活を送っていましたが、51歳のときに再訪したヨセミテで、保護区とは名ぱかりで自然破壊の進んだ悲惨な園内を目にし、保護活動のために立ち上がります。
 その運動は政治家のみならず市民を巻き込むことに成功。翌年、ヨセミテは国立公園に指定されました。1892年、世界初の本格的な自然保護団体といわれるシエラクラブを創設。グランドキャニオンやマウントレニエなどの国立公園制定にも犬きな力を発揮し、国立公園の父と呼ぱれるようになりました。
 1901年、ヘッチヘッチー峡谷にダムを作る計画がもち上がり、シエラクラブの反対運動が始まります。その2年後ミュアの著書に興味をもった大統領ルーズベルトが、馬車に乗ってヨセミテを訪問。ふたりはキャンプをしながら3日間を過ごし、自然保護のあり方についておおいに議論したと云います。ルーズベルトの自然保護政策はこの旅が原点といわれています。この年ミュアは、世界の森を巡る旅に出て、日本へも立ち寄っているようです。
 ミュアとシエラクラブは大統領や議員に対するロビー活動などでヘッチヘッチーを水没の危機から救おうと尽力したが、1913年にダムの建設が決定。その翌年、ミュアは肺炎で死亡しました。

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