右の写真は蒸気河岸の上流です。向こうに東西線の鉄橋が見えます。

 「三十数年過ぎて・・」

 『「客じゃないんだ、ちょっと訊きたいことがあるんだが、このうちにずっとむかし「長」っていう子がいたんだがね」。今どうしているか、と云おうとしたとき、店の中で網を片づけていた男が、ひょいと私の方を見上げて答えた。 「長はわたしですよ」「え、??」と私は息を吸った。「私が長ですよ」とその男はいった』?が「青ベカ物語」の「三十年後」の章に描写されています。

 これは昭和35年10月に『やっと「青べか」が書き上がったので、これから浦安に行ってみようと思うんだ』と云って、木村久邇典氏と木村フミ子氏の三人でタクシーに乗って船宿「千本」、つまり現「吉野屋」にやって来、その店前での「長」と「蒸気河岸の先生」のヤリトリです。

『細面に無精ひげが少し伸びて、汐やけのした顔に賢そうな眼が光っていた。?私は自分の印象にある少年のおもかげを、いま眼の前にいる中年の男の像に重ねあわせようとしながら、              
「蒸気河岸の先生だが覚えているか」と訊いた。
                      「さあね」長はあいまいに笑った。                           「そんなに古いことだとするとな」「まあおはいんなさい、いまおっ母を呼んでみるだから」                        
 すると奥から柔和な顔立ちをして、穏やかな返事をしながらおっ母、つまり「長」の母親が出てきたのである。「長」が説明し、「蒸気河岸の先生」も又話した。愛想良く挨拶はしたが「蒸気河岸の先生」のことを思い出した様子はなかった』

 紀行主はここを読んでいると、いつも目頭がうるみ、悲しくなってしまうのです。それは「蒸気河岸の先生」のあれほどの強い思い入れがあつたのにもかかわらず、何と「長」もその母親にも一片の記憶だになかったからなんです。しかも同行者二人の前でです。この時の「蒸気河岸の先生」の落胆ぶりが眼に浮かぶようで、更に悲しくなってしまうのです。
 
 このヤリトリの後、「長」の兄の「鉄なあこ」にも会って色々話をします。「蒸気河岸の先生」が住んでいた三十数年前の出来事が共通の話題になりながら、何故か「鉄なあこ」にも「蒸気河岸の先生」の記憶が無いと云う。ましてある時期はこの兄弟とひとつ屋根の下で寝起きを共にしたというのに!!

 「青べかを買った話」の章

 話が飛びっぱなしで申し訳ありません。飛びっぱなしついでにしばらくこの「源八」さんの話を続けたいと思います。源八さんの話によると、「青べか物語」に登場する「高品」さんは「高梨家」の本家で、たいそう広い屋敷で「旦那様、旦那様」と呼ばれていたそうですが、源八さん自身はこの「高梨正三」氏についての記憶はないそうです。
 むしろ「青べか物語」にも登場する「摩さん」さん事、「高梨正三」氏の弟で「高梨二三摩(ふみまろ)」氏のことを記憶していて、「まろさん、まろさん」と云われていたそうです。現在、 「高梨家」のたいそう広い屋敷にはマンションが建ち並び、その子孫の方がオーナーとして経営しているそうである。
 
 本題に戻りましょう。結局あくる日「蒸気河岸の先生」は何気ないフリを装って一日中川筋や堀を探したが見つからなかったと云います。その日の夕方、倉なあこ(なあことは浦安では兄貴と云うほどの意味)の声がして、
『沖の三番みおでふらふらしてただよ、どうしただね』と云って青べかをひいてきてくれたものです。 その後、青べかに「ロジナンテ」と名前を書いても一向におかまいなく、彼らは毎日やってきて石を投げ、泥を投げ、悪罵と嘲弄を浴びせかけたのですが、そのうち彼らは飽きてしまったようです。

 しかしここから「蒸気河岸の先生」の戦いが始まったのです。つまり青べかは「蒸気河岸の先生」がならい覚えた技術をもってしても、頑として云うことを聞かなかったのです。
 ある風の強い日、それも干潮の日「蒸気河岸の先生」は根戸川の中流で悪戦苦闘していました。青べかは一向に云うことを聞かず、風と強い流れでどんどん下流に流されていきました。そうすると青べかと一緒に土手を走りながら、『先生のばかやつら、ええ流されてるだ、海までながされるだ、ばかやつら、いいきびだ、わあい』と「長」が叫んでいたのです。 「蒸気河岸の先生」は「鼻の奥が熱くなる」のを感じたと云う。『それは小学三年生の愛情の表現だった、などと私は云いたくはない』と云っていますが、多分「蒸気河岸の先生」が流されているのを見た「長」は心配した挙げ句そう云ったので、まさに愛情表現そのものであったと思われます。そして「蒸気河岸の先生」はそう感じたのであろうと私は思うのです。

 そしてある日、「蒸気河岸の先生」は青べかに対する憐れみや、愛情や劬りをかなぐり捨て、悪童と同じように「青べかに過ぎない」と認めた時、初めて青べかは「蒸気河岸の先生」に身を任せたのです。

注:青の太字は山本周五郎作「青べか物語」の原文から引用しました。
参考文献:山本周五郎著「青ベカ日記」
       木村久邇典著「素顔の山本周五郎」
         同     「青ベカ慕情」
         同     「山本周五郎・青春時代」

青べか紀行 P14