青べか紀行 P1

 『浦粕町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔と釣り場で知られていた』

 で始まる山本周五郎の「青べか物語」は昭和の初期、すなわち昭和三年から四年の一年と数ヶ月の間、このひなびた漁師町に転々と下宿先を変えながら生活していた時の「青べか日記」をもとに、漁師町の片隅に生きる庶民の哀歓を小説的粉飾のない、ありのままの生活風景を作品にした小品集です。

 『町はさして大きくないが、貝の缶詰工場と、貝殻を焼いて石灰をつくる工場と、冬から春にかけて無数に出来る海苔干し場と、そして魚釣りにくる客のための釣り船屋と、ごったく屋と云われる小料理屋の多いのが、他の町とは違った性格を見せていた』
 
 「蒸気河岸の先生」‥「青ベか物語」の中で彼はそう呼ばれていますが、その「蒸気河岸の先生」は浦安に住み着いた理由を、「地図を見ていたら“八犬伝”に出てくるような行徳に行きたくなった。ところが途中満々と水をたたえた川の中に小さなベニスのような町があり、ああ、こんなところがあるのかと舟を降りてしまったのが浦安だった」と云っています。

 『町は孤立していた。北は田畑、東は海、西は根戸川、そして南は「沖の百万坪」と呼ばれる広大な荒れ地が広がり、その先も又海になっていた』

 山本周五郎は「青べか物語」の中では浦安を「浦粕」、江戸川を「根戸川」と言い換えています。そのほか行徳は「徳行」と云ったり、高梨さんを「高品」さんと言い換えたりしています。 「北の方角」は現在の南行徳方向であり、「東の海」は現在の湾岸線から先の埋め立て地です。
 そして「その先も海」は現在のディズニーランドの方向です。そして唯一変わらないのが「根戸川」つまり「江戸川」の流れでしょう。現在の浦安の変貌を山本周五郎が見たら何と云うのでしょうか。                               

根戸川こと江戸川での投網の再現風景


蒸気河岸を対岸から見る

江戸川と境川の水門

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蒸気河岸から江戸川下流を見る


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注:青の太字は山本周五郎作「青べか物語」の原文から引用しました。
参考文献:山本周五郎著「青ベカ日記」
       木村久邇典著「素顔の山本周五郎」
         同     「青ベカ慕情」
         同     「山本周五郎・青春時代」


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青べか物語の舞台となった浦安を歩いてみました。