注:青の太字は山本周五郎作「青べか物語」の原文から引用しました。
参考文献:山本周五郎著「青ベカ日記」
       木村久邇典著「素顔の山本周五郎」
         同     「青ベカ慕情」
         同     「山本周五郎・青春時代」


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 『これらのことをどんなに詳しく記したところで、浦粕町の全貌を尽くすわけにはいかない。私も決してそんなつもりはないので、ただこの小さな物語の篇中に出てくる人たちや、出来事の背景になっているものだけを、いちおう予備知識として紹介したにすぎないのである』とあります。

 『はじめに「沖の百万坪」と呼ばれる空き地が、この町の南側にひろがっていると書いた。私は目測する能力がないので、正確にはなんとも言えないが、そこはたしかにその名にふさわしい広さをもっていた。畑といくらかの田もあるが、大部分は芦や雑草の繁った荒れ地と、沼や池や湿地でしめられ、その間を根戸川から引いた用水堀が「一つ圦」から「四つ圦」まで、荒れ地に縦横の水路を通じていた』

 
今の「堀江」から南の一帯を「富士見」と呼んでいます。そしてその先にディスニーランドがあるわけですが、「蒸気河岸の先生」はこの一帯を「沖の百万坪」と作品中に表現しています。しかし古老に聞くとそのような地名は存在していなかったと云い、「境川」が海に流れ込んだ先に「十万坪」と呼ばれる漁場があったので、そこから「蒸気河岸の先生」すなわち「山本周五郎」自身が名付けたのであろうと推測しています。
 「青べか物語」の中にしばしば登場する「沖の弁天社」は、実はこの「沖の百万坪」と呼ばれた地域にあったようです。紀行主の持ち前の好奇心がそれを放っておくはずがなく、すぐにマウンテンバイクで出かけたのです。 

 そしてそれは現在の「清龍弁財天」を指して云っていたものである事が判りました。しかも現在でも地域の住民の信仰を集めていたのです。当時はその御利益は東京まで聞こえ、「青べか紀行・その2」で紹介した深川の高橋から蒸気船に乗ってきた参詣客で大変賑わったそうです。 
 1970年初頭の「沖の弁天社」の写真を見ましたが、まさに「蒸気河岸の先生」当時の芦におおわれた荒れ地の中に建っており、たかだか30数年前まではそんな風景が残っていたようです。今は周りに民家やマンションが建ち並び、往時の面影もありません。

今も三番瀬で行われている漁。これは何漁というんでしょうか?

 『この水路や沼や池には、鮒、鯉、ハヤ、鯰などがよく繁殖するため、陸釣りを好む人たちに取っておきの場所であった。また、沼や池や芦の茂みには、カワウソとかイタチなどが住んでいて、よく人を驚かしたり、何事でもすぐ信ずるような、昔風の住民を「すきさえあれば化かそうと思っている」ということであった』

 
そう言えば「青べか物語」の中には、ただ一遍「狐火」が登場します。しかし「浦安の昔話」を紐解くと実に多くの「狐」の話が出てきます。「一つ圦のキツネ」「月に化けたキツネ」「キツネの恩返し」「大黒様に化けたキツネ」「キツネの御礼」「長さんギツネ」と実に多くの「狐」の昔話が登場し、あげくは「寅さんキツネ」まで登場します。
 
 「男はつらいよ」の寅さんとは関係ありませんが、そう言えばもともと「男はつらいよ」の故郷は当初、浦安を想定していたようです。スタッフが下調べに来ましたが、当時は地下鉄東西線が開通し、イメージがだいぶ違ってしまっていたので江戸川をさかのぼり、葛飾柴又に落ち着いたという話を聞いたことがあります。1970年第五作の「男はつらいよ・望郷編」は浦安が舞台でした。おいちゃんと喧嘩して江戸川にもやってあった舟に中で寝ていたら、流されてしまってたどり着いたのが浦安だったのです。
 寅さんはそこの豆腐屋で働きだしました。その続きは例によってそこの娘の「節子」(長山藍子)に恋しますが、それも空しくまたまた失恋してしまうのです。

 話がそれて申し訳ありません。前回も紹介した「狐宅屋」の由来もこうした昔話のキツネと関連しているのかな?とも思っています。 

青べか紀行 P5

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