浦安舟大工技術保存会 P17 

 

 昭和40年以降、海苔採取の機械化にあたって漁師が舟大工に「足を強く作ってくれ」「ぐらぐらしないように作ってくれ」と注文することもありました。海苔を手で採取している頃は、ベカ舟が傾いだ方が都合がよかったのですが、ノリペットと呼ばれるモーター付きの採取機を使用するようになると、船が傾かない方が使いやすくなりました。海苔棚の間に入るため形や大きさは普通のベカ舟と同じにし、構造が違うものを作りました。普通のベカ舟はノッケ作りですが、その船はワキズケにしました。ノッケとはカジキとウワダナの接合部分のことを呼び、カジキの上にウワダナをそのまま載せることからノッケと呼ぱれます。ベカ舟がノッケ作りなのは海苔棚に入るのに邪魔にならないためで、ワキズケだとノリヒビの枝をひっかいてしまったりと、海苔採りには都合がよくないと云われました。
C浦安のベカ舟の変遷

<ベカ舟の登場>
 浦安にベカ舟が登場した時期は、具体的な文献資料がないため、現段階では断定できないようです。前章にも述べたように、文政13年(1830)の『嬉遊笑覧』に「へか舟」の記載があることから、東京都大田区羽田の近辺では江戸時代末期にその存在が知られるが、浦安でそうした小船が存在したのかどうか不明です。元船大工の勘兵衛さん(宇田川信治氏)宅に明治24年の船の値段表が残っていました。この文書には明治時代、浦安でどのような船が作られていたか、船の値段はいくらであったかなどが記されており、当時の船がうかがい知れる貴重な文献です。

 しかしこの中に海苔採り船らしきものの記載はありません。値段が一番安い船で「カチ鵜縄手舩貳艘上金貳拾円 中金拾八円」と記されています。これは鵜縄漁に使用されるテブネ(手船)のことと考えられます。『浦安町誌上』には「うな手船(鵜縄手船)は鵜縄のとき魚を追うのに使い、肩幅三尺ぐらいで細長く軽くできている」とあります。浦安では、明治19年(1886)に漁場使用権を取得し海苔養殖を開始したとされますが、実際に海苔養殖が本格化したのは明治末期になってからであり、海苔採り船が一般化するのはこれ以降のこととなります。浦安におけるベカ舟と呼ばれる海苔採り船の発生年代は確認できてはいませんが、少なくとも明治24年の段階では使われていたとしてもその数は少ないものと考えられております。

<浦安のベカ舟の変遷>
 もともとベカ舟は海苔採り専用で小さかったののですが、腰マキ漁にも使用するようになって次第に大きく(長く)なっていきました。昭和初期のベカ舟は、長さ・幅とも戦後昭和40年代の3分の2くらいしかなかったと云います。
 浦安のベカ舟にはコベリなしの海苔採り専用船(ノリブネ・ノリベカと呼ぶ)と腰マキ漁と海苔採り兼用の船の2種類がありました。戦前はノリベカが主でありましたが、戦後は腰マキ兼用船が主流となりました。
 ノリベカは親船(マキブネやウタセブネなど)に載せて海苔場まで行くため、できるだけ軽量化をはかりシキ(底板)も薄くできています。腰マキ兼用船は、側板の厚さは7〜8分(約2.1〜2.4センチメートル)でシキは1寸(約3センチメートル)で作りますが、ノリベカの場合シキも側板の厚みで作りました。シキの長さは10尺〜10.05尺(約3〜3.15メートル)、全長は15尺(約4.5メートル)程度でした。戦前はノリベカで海苔場まで漕いで行くこともあったそうです。

 腰マキ兼用船は、普通コベリ・ウワコベリといった船体保護の部分がつきます。シキの長さ12尺〜12.5尺(約3.6〜3.8メートル)、全長は16尺(約4.8メートル)ほどでした。この船では自分の河岸から漕いで漁場まで行きました。貝漁のとき、一斗樽で20〜30杯もの貝を載せることがあったそうです。戦後はこのベカ舟が主流となり、船大工もほとんどこの型のものを作りました。また江戸川区葛西ではベカ舟に3種類あり、シキの幅が2尺のベカ舟をノリトリベカと呼び、ほかにシキの幅が2尺2寸のベカをチュウベカ(中ベカ)、2尺4寸のベカをオオベカ(大ベカ)と呼んでいました。チュウベカとオオベカは海苔採りと腰マキ漁の兼用船でした。

 
 ベカ舟の形は必ずしも型にはまったものではなく、漁師の都合や船大工によってその形は少しずつ変わっていきます。海苔柵(幅4尺)の中に入って作業をする関係上、シキの幅は最大2尺4寸と決まっていましたが、長さは様々でした。例えば船大工のところへ「トモを1寸ばかり広くしてくれ」とか「狭くしてくれ」という注文がくると、トモの広さに合わせて全体の長さを変えました。また値段によって板の厚みを変えることもあったと云います。

参考文献:1993年 浦安市教育委員会発行「浦安のベカ舟」

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 また銅板ばりのベカ舟もありました。銅版をはるのはマキハダを打っている場合、それが出ないようにするためと、腐食を防ぐための二つの理由からでしたが、銅板が多くはってある船は装飾の意味も大変強かったようです。たしかに現物を見ると非常にきれいです。
 船外機をつける場合、そのままではベカ舟に機械をつけることができないため、トモ(船尾のこと、船首無分をオモテと呼ぶ)に補強の板を横に1本つけ、そこに穴をあけてネジで止めました。それまでの船体に内蔵されたエンジンに比べ、船外機は取りつけがはるかに簡単で、昭和40年代後半には、ほとんどの漁師がベカ舟に船外機をつけていました。

 既存のベカ舟に船外機をつけて、人がトモに乗って走ると、船先が水につかない状態になります。船体の3分の2くらいが上がってしまうこともありました。この状態をトモを引きずる意味から「トモを引く」といっていました。尻を引きずってスピードが出ないため、船大工はいろいろ工夫して船を改良していきました。船底に三角形のヒレをつけたり、シキを少し長く(18尺ほどに)するとトモを引かなくなりました。機械が出てから船大工は、従来の造船方法だけではなく、試行錯誤の連続であったと云います。

 昭和40年代後半になると、機械メーカーがプラスチック製の海苔採り専用船を作りはじめました。浦安でもその船を使う人があらわれました。またメーカーから船大工のところへ、FRP(繊維強化プラスチック)などのパンフレットを送ってきました。当時すでに木造船は下火になっていました。

ノッケ作り

ワキヅケ

←うわだな

うわだな→

しき

しき

かじき→

かじき→

かじきにうわだなを乗せています。

かじきの脇にうわだなをつけています。