浦安舟大工技術保存会 P18 

F消えたベカ舟はどこへ

 昭和46年の漁業権全面放棄後、ベカ舟はどのような運命をたどったのでしようか。『浦安町誌下』によると、「漁業の最盛期には、千数百隻のべか船が、境川の両岸に繋留されていたが、今日では漁民の大部分が転業してしまったので、べか船は不必要となり処分されることになった。しかしべか船は、浅海漁場で操業するよう長年にわたって改良された特殊船とあって、転売したくとも買い手がなく、新造したばかりのべか船が僅か四〜五千円でようやく売れる有様である。そのため境川筋には処分に困ったべか船が沈没したまま放置され、船舶の航行を妨げるので、町では埋立地に曳航して処分することとなった」とあります。

 つまり漁業権を放棄したことにより「行き場」がなくなってしまったのです。その後のベカ舟の行方ですが、普通ベカ舟は手入れと材料次第で10年以上もつといい、20年くらい使えるものもあったようです。
 漁業権放棄前は、ベカ舟が古くなって使用できなくなるとそのまま川に放っておきました。こうしておくと自然と水に沈んでしまいました。また漁師によっては燃やしたり、壊して板にして垣根などにする人もありました。古いまま放っておくとフナムシがついて船体に穴を開けます。ところがこの板は趣があるので料理屋の看板にすることもあったと聞きます。
 漁業権放棄後のベカ舟の行方は様々でした。行徳や船橋の人にあげたり、印旛沼の方へ売ったり、木更津や五井・浜野の漁師へ売った、またそのまま放っておいたなどの話があります。
 売った場合、3000円くらいであったと云います。またベカ舟のモヤ(綱)をわざと解いておく人もあった。そのようなベカは自然と流され沖に出て沈んでしまいます。モヤを解いた人は「ああ畜生、モヤが緩んでいたから流されちまったみたいだなあ」といっていた。これって確信犯ですか!
Dベカ舟の値段

 ベカ舟は自転車1台とほぼ同じ値段であったと云いますが、詳しい値段の変遷はわかりません。
判っている範囲ですと、昭和初期頃20〜30銭で、戦後昭和25〜26年頃は浦安では5000円くらいでした。昭和31〜32年頃になるとノリベカで1万円、コシマキ兼用船で2万3000円〜2万6000円で、船外機をつけて5〜6万円でした。
一方、ベカ舟以外の船の値段ですが、勘兵衛(宇田川信治氏の造船所)さんが昭和30年から昭和38年までに作った船の数と価格は次の通りです。
この価格は船体の値段のことで、機械は別料金です。

          ウタセブネ   マキブネ   単位:万円
昭和30年      20       16〜18
昭和31年      20       16〜18
昭和32年     20〜22     16〜18
昭和33年     20〜22     16〜18
昭和34年      22         20
昭和35年      23         20
昭和36年                20
昭和37年                20
昭和38年                23
    

参考文献:1993年 浦安市教育委員会発行「浦安のベカ舟」

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Eベカ舟で行われた漁
 さて、ベカ舟で行われた漁にはどのようなものがあったのでしょうか。
 まず昭和15年の『東京府内湾漁具図集』の中では、鑢流網、海苔桁網、餌エビ網、うなぎ竹筒、腰捲、ちゃぶ、うなぎ鎌、掛縄漕(文鎮漕)、沙魚曳網の9つの漁法に使用されていたことが記されています。この書は東京府管内の漁業協同組合での調査報告ですが、浦安でも同様の漁法で使用されていたと考えられます。
 また昭和24年の『東京湾漁業生産実態調査第1巻〔昭和23年度調査内湾漁業会関係〕』では、浦安漁業会で調査した結果が記されています。
 そこではウナギ延縄、ハゼ延縄、セイゴ・クロダイ延縄、ダツ・サヨリ延縄、スズキ突き、ウナギかま、竹筒、朝鮮桁、スズキ網、シラウオ網の10の漁法でベカ舟が使用されていたとあります。なお同書によると、南行徳漁業会では竹筒、オゴトリ、投網、肥料藻取、張網にベカ舟が使われていたとあり、海苔採り以外にも様々な漁で使用されていたことがわかります。
 さらに『浦安町誌上』ではスズキ網、海苔けた網、スズキつき、はっつけ釣り、ちゃぶがあげられています。

 長い間、「浦安舟大工技術保存会」に目を通していただいてありがとうございました。こうした文を書くのは初めてのことで、表現等お目触りの点がありましたことを陳謝し、又いろいろご指導いただいた関係者に御礼をしてキーボードから離れます。
      
      ・・・・・本当にありがとうございました・・・・・