参考文献:1993年 浦安市教育委員会発行「浦安のベカ舟」

 

 しばらく舟大工の生活について触れてみましょう。戦前は朝は普通8時頃から仕事を始めました。昼食後は1時間ほど休憩をとりました。冬場は午後4時か4時半頓になると暗くなるため仕事をやめたそうです。
 夏場の日の長いときは6時か7時頃まで仕事をしましたが、ヨメシ(夜食)を食べた後まですることはなかったそうです。冬場は暗くなると仕事場に電気がなかったため、ガスの明かりで作業を行うこともありました。
 戦争中に浦安造船という会社組織になってから、仕事時間は朝8時から夕方5時までとなりました。浦安造船ではタイムカードを押しました。
 終戦後は浦安造船にならい、時間制を取り入れた船大工が多かったそうです。戦後の忙しいときには夕食後2時間ほど夜業をすることもありました。カリヤ(カリヤとは仮屋とも書き、舟を作る作業場)の中は裸電球が1〜2個という程度で、電気の影ができてしまい、仕事が限定されてしまったそうです。    
 カンナで板を削っても日中のようにはいかないので、マキハダ(水漏れを防ぐ材料で、杉の皮を細かく割いたもの)打ちとか小物を作ったりなど小さい仕事しかできなかったそうです。

 

 次に紹介するのはその宇田川彰氏です。氏は前にも述べましたが宇田川信治氏の実弟で、昭和14年浦安町猫実に生まれました。学校卒業後、勘兵衛宅に養子として入って兄、勘兵衛さんの仕事を手伝いました。  
 べカ舟作り専門で、大きな船は勘兵衛さんが作っていました。またムジン(後述)の帳面回りも行い、はじめは自転車で後にはバイクで漁師の家々を回ったと云います。彰氏が二十二〜三才の頃(昭和36〜37年)、仕事が忙しいわりには職人がいなくなり大変だったそうです。兄と二人だけで仕事をしていたため半年ほど休みがもらえず、また残業の連続でもあったと云います。遊びたい盛りなので不満ばかり言っていました。ときには兄弟げんかをして、家を飛び出したこともあったそうです。
 船を作っていて一番記憶にあるのは、初めて船を作ったときより最後に作ったとき。それまでべカ舟専門で、ベカ舟ばかり作っていて自分としてはおもしろくなかったそうです。そんなとき勘兵衛さんから「コアミプネを作ってみろ」といわれて作ったのが最後の船だったそうです。自分でも格好よく作れて満足できました。初めて作った大きな船が最後の船になってしまったんですね。技術的なことは兄に教わらなくてもよかったそうですが、急所急所は教わりながら作ったそうです。
 宇田川彰氏は会社を長男の英明氏に任せ、「浦安舟大工技術保存会」の会長として、又現役の舟大工として、技術の保存、広報、伝承に活躍しています。 




    べか舟づくりです。大工道具を自在に使って製
    作していきます。ノミの使い方、スミの入れ方、
    ノコギリの以外な使い方・・と、目を見張るもの
    があります。

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浦安舟大工技術保存会 P5 

 よく仕事をしていて「摺り合わせをキチンとしておいてヨッ!」って話がありますよねっ。実はこの語源は舟大工からきているようですよ。後ほど述べましょう!