左の写真はシキ板の貼り合わせをしているところです。このようにして2枚の板を貼り合わせてシキ板(底板)を製作します。ここでも摺り合わせがあります。

参考文献:1993年 浦安市教育委員会発行「浦安のベカ舟」

 

 カリヤから船を下ろす場合、猫実・掘江のほかの船大工「勘兵衝以外」のカリヤからだと土手を越えなければならず、大きな船の場合大変であったと云います。「勘兵衛」ではじかに境川へ下ろすことができました。今でも「勘兵衛」さんの家は境川の傍です。複数の船を平行して作る場合には、あっちこっちの船をいろいろ回って仕事をした。漁師の中には自分の船を作っているところを毎日見にくる人もいました。カリヤ内は禁煙ではなかったですが、火災の危険もあるため、周りで漁師たちが煙草を吸っていると、その周辺をかたしてしまうこともありました。また一時期、雑種の犬を飼っていました。これは火のついている煙草を自分で消して食べるという珍しい犬だったそうです。火のついていない煙草は食べないため、漁師が面白がって、わざと火のついている煙草を落として、犬が食べるのを見て楽しんでいたと云います。        

 

 

 「うまく削れたなあ」と思っても、昼間見てみると段がついていることがよくあったそうです。また昔の休み日は毎月一日と十五日であり、日曜休日となったのは戦後しばらくたってからのことだといいます。

 一年で一番忙しい時期は、海苔のボウタテをする十月頃。道具の準備をする時期で、修理の注文も集中しました。ノリべカでも修理の依頼がありました。 また貝マキ漁の支度の時期も修理が多く忙しい時期ででした。船大工の仕事は、漁の好・不漁に左右されます。不漁だと新造船の注文は減り、仕事が暇になります。暇なときでも仕事が全くないということはなく、景気が悪いと船の修理が増えるものだと云います。大きい船の注文がないときでもべカ舟の注文はありました。浦安での景気の善し悪しは、とくに海苔の取高によって左右されていました。海苔の景気がよくなれば新造船の注文も増えたと云います。                                            
 船大工の仕事場をカリヤ(仮屋)と呼んでいたことは前にも述べました。材料の木は、カリヤの横の自分の家の敷地内にヨコタ(横にと云う意味)に積んでおいて、コグチには割れ止めを打っておきました。カリヤ内は1年中カンナ屑などで散らかっているため、適度に掃除を行っていました。

 「勘兵衛」の場合、カリヤの広さは長さ7間(12.6メートル)、幅2間半(4.5メートル)でした。忙しいときにはカリヤに、大きい船が2艘すわることがありました。普通は1艘マキプネを作り、端でベカ舟をやり、外で修理を行っていました。2艘据えてしまうと、べカ舟を作る場所がなくなり、臨時のカリヤを作って仕事をすることもあったと云います。 

模型作りページへ

浦安舟大工技術保存会 P6