右の写真は打瀬舟の新造おろし風景です。今で云う進水式でのぼりを立て境川を下っています。操船しているのは浦安舟大工技術保存会会長です。

参考文献:1993年 浦安市教育委員会発行「浦安のベカ舟」

 チョウナを使うにも、草履の裏で受けとめたりします。船大工は物を足で押さえるため、すぐ脱げる草履スタイルが都合よいようです。草履では品物がそれほど汚れませんが、靴だと汚れることもあります。木を扱っていると手が荒れてアカギレになり、血が出るときもありました。アカギレの部分に絆創膏を貼って仕事をしたこともあったと云います。また昭和31年頃、勘兵衛さんは機械カンナで手を割ってしまったことがあったと云います。小さな板を磯城カンナに入れようとしたところ、回転が早かったため反動で板が飛ばされてしまい、刃の上に手をついてしまった。仕事を1週間休み、医者に1カ月くらい通ったそうです。少しよくなったら、指にビニールをかぶせて縛りながら仕事をしました。「勘兵衛」さんはこのケガ以外は、大きなケガをしていないと云います。                       

 漁師は普通、自分の船を作る船大工を決めていました。一度船を作れば、よその船大工に行くことは少なかったと云います。漁師から「いいのを作ってくれ」とか、「普通のでいい」などと云ってきます。あるいは「あの船と同じくらいの値段で作ってくれ」というのもあったそうです。現在のような契約書などは書かなかったそうです。
 カリヤで焚火をするため、トタン屋根が焼き切れていました。寒い時期、仕事前や一服するときに火にあたります。昔はじかに焚火をしていましたが、火災の危険があるため、自分の代にはダルマストーブにしました。潮あいや潮待ち、また「風が吹きそうだ」などと天気をみているときなど漁師が火の周りに集まって、わいわいと話をしていたそうです。そんな様子が目に浮かぶようですね。                       
 
 戦前の職人は「女はカリヤに入ってはいけない。まして道具をまたぐなどとんでもない」と言っており、女性がカリヤに入ることをきらっていました。
 仕事をする時の服装は膝下が締まったジョウバズボン(ニツカボッカに似ている)をはいて仕事をしました。ジョウバズボンは鳶の人がはいているようなズボンで、裾が広がっていると危険なためジョウバズボンをはきました。上半身は普通のシャツを着ました。
 冬は上着にジャンパーを着たが、仕事をしているうちに暑くなり、シャツだけになるときもあったようです。夏はランニングー枚で半分裸になって仕事をするときもありました。 
 戦前はモモヒキをはいて、ハラガケをしたスタイルで仕事をしていました。履物はだいたい草履ばきです。物を足で押さえるのに、草履スタイルがやりやすいと云います。今でも勘兵衛さんは実に巧みに足を使い材料を押さえて鋸を使ったりします。

 私もちょっとやってみましたが難しいの一言です。

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浦安舟大工技術保存会 P7