上の写真はしき板の平面をだすためにカンナをかけているところです。作業しているのは浦安舟大工技術保存会会長の宇田川彰です。

参考文献:1993年 浦安市教育委員会発行「浦安のベカ舟」

 集金方法は日掛けのため、毎日船大工が金を集めに漁師の家を回りました。船大工(「勘兵衛」では宇田川彰氏)が帳面を持ち、集金したら印鑑を押しました。漁師の家にも帳面が置いてあり、そこにも印鑑を押しました。この帳面をムジン帳と呼んだと云います。
 大正12年頃で日掛けの金額は10銭くらい。当時煙草が1箱5銭だったといいます。昭和30年代はじめで100円ほどでしたた。お金の管理は船大工が行い、信用組合などに貯金したりして、ある程度貯まったら材料の仕入れ費用にしたそうです。不漁が続くと漁師から「もう少し待ってくれ」いわれ、集金できないこともあったと云います。               
 金額の支払いは一括払い、あるいは契約金として内金をいくらかもらっておく、など様々な方法があったそうです。
 
 契約金の場合3分の1ほどもらっておいて材料を調達する資金にしました。残りは舟が完成して船がおりたときにもらいました。完成してからもらった方がありがたいため、一括払いの方が多かったと云います。
 
 造船資金の融通を目的とした相互扶助組織でフナムジン(船無尽)と云う制度がありました。浦安ではそれぞれの船大工がムジンを組織していました。フナムジンの利点は約束を守ること(必ず買う)ことと、1度ついた客が離れないことでした。宇田川彰氏がこの係りをしたことは前述しました。
 そのやり方ですが、船大工が信用のおける人、あるいは顔の広い人に世話人を頼み、世話人がムジンに入る人を勧誘します。一定のグループ(10人から12人くらい)を作り、日掛けで毎日金額を積み立てます。積立金が1艘分の値段近くまで貯まったらクジを引いて順番を決めます。クジ作りは世話人の役目でした。例えばクジを引いてAの人が当るとします。船によって値段が違うため、ウタセプネにするかマキプネにするかなど規模を聞いて単価を決めます。 
 ムジンの金額で足りない場合は、不足分をシンゾウオロシ(新造おろしと書き、進水式のことを云う)のときに現金で払いました。話がまとまらず延期したり、権利をほかの人に譲る場合もありました。クジに当って船を作った人からクジを引くのを抜けます。船を作り終えた人は、あとは金を出すだけです。だいたい3カ月に1回くらいクジが出るようにし、3年くらいで一巡して終了しました。
 「勘兵衛」では、昭和31〜32年頃に堀江・猫実の範囲で30軒以上の家がムジンに入っていたそうです。べカ舟の場合は、主に完成時点での即金払いでした。 

 大工の手間代は「イチニン(1日)いくら」と決まっていました。2日分の手間代をもらっておき、急いで1日半で仕事を終えるということもあったそうです。

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浦安舟大工技術保存会 P8