上の写真はカジキ(下の板)とウワダナ(上の板)を接合するのに、フナ釘を釘シメで打ち込んでいるところです。作業しているのは浦安舟大工技術保存会会長の宇田川彰です。

参考文献:1993年 浦安市教育委員会発行「浦安のベカ舟」

 <船大工道具専門店の話し>
八丁堀にある直平が有名でした。直平では現在3代目が店の切り盛りをしているそうです。以前は船大工道具だけで商売が成り立ったが、戦後は船大工が減り商売にならなくなったため、家大工道具を扱う店に変わっていきました。現在では屋形船の船頭が、たまにマキハダ打ちの道具(ヤトコ)を買いにくる程度で、船大工道具はほとんど売れないと云います。
 現在ヤトコの値段は1200円くらいです。以前は常連の船大工がよく買いにきたと云っています。専門店が少なかったため、葛西・浦安・江戸川・大森・横浜など広い範囲から客が来ました。

 かつては横浜にも船大工専門店があったと云います。船大工専用のノミは、北海道函館の方で作っていました。 
 戦前浦安の船大工は、行徳の鈴木(ゲンサンカジヤ)という鍛冶屋で船釘を作ってもらっていました。腕のよい船釘鍛冶屋で、べカ舟の釘(ベカクギ)を作らせたら天下一品だったと云います。
 浦安造船時代には、高村という鍛冶屋が浦安に住みついて釘を作っていました。高村氏は浦安造船専属の船釘鍛冶で、戦後も堀江に住んで船釘を作っていました。

 そのほか、江戸川区船掘の新川べりに磯辺という鍛冶屋があり、そこでも船釘を作っていましたが、磯辺はどちらかというと鋲専門の鍛冶屋でした。   昭和29年頃は、高村氏も鍛冶屋をやめたため、江戸川区三角の藤森という鍛冶屋で作ってもらったそうです。ほかに深川にも船釘鍛冶屋が何軒かあり、購入したこともあったそうです。           
 べカ舟の場合は値段が安いため普通は現金払いで、ムジンで作ることはなかったと云います。ただし中にはべカ舟でも日掛けを行う人がいました。これは個人で金額を積み立てて、ある軽度貯まったところで作るという方法で、金額は昭和30年以降で1日50円くらい。べカ舟の日掛けのときも帳面を作っていました。
 
 暮れの行事として、親方が職人に草履やこずかい、また米や餅を渡すこともありました。正月の勘兵衛では暮れに道具を整理して、道具をしまう場所へ鏡餅を供え、お酒をあげました。床の間に道具をあげることはなかったと云います。またそれぞれの船大工が、正月の2日くらいに年賀として、日掛けをしている漁師へおてふき(手ぬぐい)を配りました。型を1つ作っておき、毎年新しく印刷し直して配ったそうです。
 
 仕事はじめ、「勘兵衛」では1月2日の午前中に仕事はじめという行事を行いました。カリヤでチョウナはじめのようなことをやります。その年の恵方、方角のよい方に向かって、スギの板(アカミの板)を置き、その前にお神酒と餅を供えます。まず親方が板に線を3本引き、その部分に米と塩を供え、御神酒をかけます。そのあとにチョウナを使うまねをします。親方がやった後、職人が順番にチョウナをもって行う。    
 その木でケンザオ(定規)を作ることもあったそうです。行事終了後、親方の家で一杯ご馳走になり、お年玉(祝儀)をもらいます。
 勘兵衛さんは、渡辺造船時代の方法で仕事はじめの行事を廃業するまで行ったといます云います。                        
 
 太子講と云うのがあって、船大工の親方が集まって年3回、正月・5月・9月に行ったそうです。聖徳太子の描かれている掛け軸を立てて、親方同士で飲食をする、船大工の懇親会みたいなものでした。             値段の取り決めがあれば、太子講のときに話し合いました。戦後は船大工の組合(葛西と捕安の船大工が加盟していた)で順番に当番を決めて行っていました。場所は当番の家でやったり、錦糸町の料理屋へ行ったり、浦安の「味秀」という料理屋でやることもあったそうです。
 そう云えば勘兵衛さんは酒のたぐいは全くダメで、こんな席では相当困ったのではないでしょうか。しかし弟の宇田川彰氏はこれが本当の兄弟かと思うほど酒に強い。紀行主も時々お相手しますが、顔にも出ず酔った姿を見たことがありません。歳を考えて程々にして貰いたいものだが、よけいなお節介かもしれません。

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浦安舟大工技術保存会 P9