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2006.04.24(月) Up Load

■現在、銚子へ流れている利根川は、江戸時代以前は現在の古利
根川を流れ、越谷付近で荒川(現在の元荒川)と合流し、隅田川となって束京湾に流れていました。利根川と荒川がひとつになっていたので、下流ではたびたび大雨のたびに洪水が起きていました。
 徳川家康は豊臣秀吉の天下統一に協力、関八州を与えら1590年江戸入府しました。江戸に入府すると、関東平野の治水工事に着手しました。その工事は、利根川の流れを渡良瀬川に落とし込み、さらに鬼怒川につなぎ、ほぼ現在の流れとなるものでした。
 また荒川は、熊谷の久下付近から南に開削して、入間川の支流・和田吉野川につないで、利根川と完全に分離させたのです。
ただ、荒川の治水工事ば、緒果的に洪水災害が頻発。明治43年8月の大洪水の被害は大きく、翌年から19年の歳月をかけて人工の川・荒川放水路が造られました。
 そして昭和39年に制定された河川法によって、荒川放水路は正式に荒川本流となり、現在の岩淵水門から下流が隅田川となったのです。

 隅田川は、大正13年(1924)完成の旧岩淵水門を起点にして、河口まで約5qの一級河川です。隅田川の河口ってご存じですか?実は浜離宮庭園横の築地川の北岸と、対岸の浜前水門の北岸を結んだ線を云うんですって。徳川家康が江戸に入府する以前は、隅田川には橋はひとつもなく、文禄3年(1594)、最初に千住大橋が架けられたました。慶長8年(1603)に江戸幕府が開かれ、江戸の街は急速に発展しましたが、明暦3年(1657)の大火では多くの死者を出しました。その原因の1つが隅田川に橋がなかったこと。

■しばらくの間、Mさんシリーズです。
 Mさんと喫茶店に入った。私は「レギュラーコーヒー下さい」とオーダーした。M氏は「フランクフルト下さい」とオーダーした。ウェイトレスは「???」。Mさん、それは世間ではウィンナーコーヒーって云うんだけど。

■年末からこちら知人と友人を失いました。まだお二人とも69歳と70歳でした。ちょっと早いですよね〜。70歳の方は長い間糖尿病と云われ食事療法も含め治療していたそうです。年明けに再検査したら肝臓癌だったそうで、もう手遅れだったそうです。お二人のご冥福をお祈りします。

●五百川さん、海生さん・・は、それぞれ「いほかわ」さん、「かいお」さんと及びします。いや〜、名字って難しい!!

そこで寛文元年(1661)に両国橋(完成時は大橋、新大橋ができた時に両国橋に改名)が架けられました。両国橘のおかげで、本所、深川方面が発展し、さらに元禄6年(L693)に新大橋、元禄11年(1698)に永代橋、安永3年(1774)に吾妻橘(完成時は大川橋、明治9年の架け替え時に改名)が架けられました。
 隅田川沿いでは、両国の相撲、三社・深川の祭りなど、多彩な文化が花開きました。隅田川の歴史って面白いですね。

先日、感動する場面に遭遇しました。高速道路にある横断歩道橋の上を歩いていました。結構広い歩道橋です。幅5mくらいありましょうか・・。私が左側を歩いていました。前からこちらに向かって私から見て右側を歩いてくる男性がいます。歳のころ30代半ばと見えました。
 10m手前まで来たでしょうか、突然方向転換して私の歩いている側へ向かってきました。「何でここでわざわざ方向転換して自分の方に向かってくるのだろう・・」と思って一瞬ムカツキました。
 と云うのも最近街を歩いていると、「江戸しぐさ」で云う「傘かしげ」のように、お互いにちょっと譲って道を空ける・・みたいなものが少なくなってきています。皆さんも経験はありませんか?
 前を歩いていて突然後方確認もせずに立ち止まってこっちがアワテたり、やや前方を歩いている人が突然目の前を横切ったり・・と。

 「ああ、またか!!」と一瞬思いました。ところが何と歩道橋の床面に手を伸ばしているではないですか!!。次に彼がとった行動は歩道上に落ちていたゴミを拾ったのです。左手にはビニール袋が。彼は新浦安方面に向かっていましたから、所用で歩いていたのでしょうが、歩いている途中にゴミを拾っていたのです。

 私は一瞬立ち止まりカーっと身体が熱くなり「ゴメンなさい・・、「ゴミを拾おうとしていたなんて・・」と心の中で謝罪しました。
 一瞬でも「ムッ」とした自分が情けなくなりました。「彼さん、ゴメンね、素晴らしいことしてたんだ」と心の中で伝えました。
 自分も行動しなければ・・と思いました。



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