もうひとつの浦安物語 P13

 

 戦前、浦安漁業会が保有していた漁業権には、専用漁業権が一、第三種区画漁業権(貝類養殖漁業)が五、第一種区画漁業権(海苔鎮建養殖漁業)が七のほか、入漁権二がありました。
 昭和24年には、それまでの漁業法は全面的に改正されました。新法では、水産資源を維持しつつ漁獲を高め、労働の生産性を向上するには白紙化された一定水面の上に、秩序ある総合利用の方法を計画すべきであるとしました。
 このため、旧来地先組合などが所有していた一切の漁業権は国が買取、各組合は改めて漁業の行使について国に申請し、免許を受けることにしました。

 しかし新法施行と同時に、新制度を発足させると、いろいろな混乱を生じることが予想されるので、新法施行から2ケ年を準備期間とし、この問に固定漁業権消減に対する政府の補償が行われ、浦安には4,800万円が交付されたので、漁協組合では、この補償金を組合員に配分しました。

 なお新たに地先海面一帯に、共同漁業権第101号、437万4337坪(14,435,313平方メートル)が免許され、三平に区画漁業権第一号、51万2300坪(1,693,350平方メートル)が鳥棒、西辰己、高洲、拾万坪、澪邊、記念場、蛎内一帯に、区画漁業権第二号、230万267坪759,912平方メートルがそれぞ免許されました。

 新漁場設定以来営々として働いてきた漁民は、臨海地帯の開発が進むにつれ、漁業のゆき先に不安を感じるようになり、昭和36年3月に
は、遂に区画漁業権の一部115万9000坪(382万4700平方メートル)と、共同漁業権の一部259万3000坪(855万6900平方メートル)を放棄し、その代償とレて、浦安町漁業協同組合に補償金5億4535万2286円、補償地21万3525坪(40万7632,5平方メートル)が、浦安第一漁業協同組合に補償金1億8091万5408円、補償地4万2500坪(14万250平方メートル)がそれぞれ支払われました。
 この額は、組合員一人当り補償金50万円、補償地100坪(330平方メートル)にあたりました。補償金と補償地は、漁業の規模に応じて組合員を幾階級かに分けて配分されました。

 これらの補償金と土地を漁民はどのように使用したか、補償金が少額であったためもあって、運用資金として使った漁家は約1/3に止どまり、家屋の新築、改築費に充てたのをはじめとして、7割弱の漁家が消費金に使用したそうです。
また補償地については、過半数以上の漁民が埋立てが完成する以前に、主として東京方面に売ってしまいました。


 漁業権一部放棄後、浦安の漁獲高はますます減少し、漁業経営が困難となったので、漁業を断念した漁師は漁業権の全面放棄を決意し、その旨県当局に申入れることになった。昭和45年8月以来、正式に両漁業協同組合と県との間に漁業補償についての交渉が行われましたが、漁協側の共同、区画漁業権全面放棄の代償として約210億円の要求に対し、県は126億円を提示した。
 その後その差70億円余をめぐって、数回にわたり交渉が続けられたが、結局149億6056万7000円で交渉妥結したので、両組合では、昭和46年4月28日に総会を開催し、満場一致で漁業権の全面放棄を決定しました。
 保証金は全額の1/4が現金で、残り3/4は2年据え置き、3年分割換金の県債権により、昭和46年11月に支払われました。

現在の浦安市

浦安市郷土博物館調査報告第三集「のり2ちば海苔いまむかし」に加筆

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