もうひとつの浦安物語 P5

 
■大正6年の大津波
 これまでも天災、浦安では大津波(台風)の被害が多くありました。大正六年に大津波(台風)が襲来し、大きな被害が出ました。襲来時の状況に触れてみます。
 
 この年は、夏の初め頃からマメガニが堤防の上や、家の戸棚のなかにまではい上がり、江戸川の水も枯れ、変事の前兆を思わせることが続きました。 9月28日になると空はどんよりと曇り、俄雨が降ったり止んだりのうっとうしい天気が続きました。  
 これは同月24日フィリッピン群島洋上に発生した台風が、最初西北に向け進行していたが、途中で方向を一転し、台湾、沖縄の南方海上を北上しているための影響でした。
 その頃、遠雷のような海鳴りや光りが東京湾上に起こり、鶏や猫などが俄かに悲しい声で鳴き回り、人々は何か不安な予感がしました。
 しかし報道機関の発達していない頃なので、台風襲来などの予報もなく、だれ一人として未曽有の大津波が襲来しようとは予想だにしなかったと云います。
 29日になると空いっぱいに黒雲がみなぎり、ときどき盆を覆したような豪雨がありました。30日は朝から東風に乗り激しい雨が降り始め、天侯が険悪になってきたので、漁師達は船が流出しないよう川岸に固く繋留し、また家財をとりかたづけ、戸締まりを厳重にしました。
 夕方になると台風は東海道筋に接近し、ついに駿河湾から沼津付近に上陛し、一直線に東京方面に向かってきました。
 夜半になると風雨は次第に激しくなり、ついに大暴風雨となりました。午前2時30分には風速43メートルに達し、雨量281ミリ、気圧は714ミリに下降し、気象台開設以来の記録を示しました。 
 豪雨は滝の如く降りそそぎ、吹きつける烈風はうなり生じて瓦を吹き飛ばし、樹水を倒し電線はち切れて暗黒となり、凄惨な形相を呈しました。
 この日は一年中で平均潮位が最も高い、旧暦十五夜の満月の日でした。午前2時30分頃、折からの満潮時の上げ潮に乗って、東京湾北岸一帯に、大津波が疾風の如く襲来しました。
 「津波が来たぞう・・」という悲壮な声が、どこからともなく聞こえる間もなく、百雷の轟くような大音響とともに激流が殺倒し、家も田も瞬く聞に濁流に呑まれ去りました。
 濁水は床を洗い、物凄い早さで増水してきたので、人々は天井を破り梁の上にのがれたが、しまいには屋根を突き破り屋上にとりつきました。家屋はばらばらに壊れ、屋根の上にすがりついたまま濁流のなかを流れ出す者、木片にかまり漂流しながら助けを求める者など悲惨な状況を呈し、住家や海苔製造所の流出するもの数百戸に達しました。
 夜明け近くになって、風は弱まってきました。その後台風は金華山を襲い、根室沖を通って北太平洋上に去りました。風も止みようやく減水してきましたが、町内のあちこちに死体が散乱し、人々は食するに食なく、寝るに家なく、壊れた家屋の残骸や、家具の山積したかたわらに喪心する有様 は、誠に悲惨の極みであったと伝えられています
 被災直後は物資の不足にともない物価は著しく高騰し、津波前一切れ二銭五厘の塩サケはいちやく四銭五厘に、一合二銭五厘の石油は三銭となり、ことに白米は一升五〇銭にも暴騰し、人々は収入もなく物価高に苦しみました。この未曽有の台嵐には数々の悲話、逸話がありますが、次の号にその二、三を記してみましょう。

 左の写真は昭和24年のキティ台風襲来時の被害状況です。

←浦安誕生100周年記念「うらやす」より転載