もうひとつの浦安物語 P6

 
 猫実の旧西水門付近に住んでいた野崎某方は家屋が流出し、一家全員濁水に呑まれ溺死してしまいましたが、五歳になる男の子が、苦草幼稚園付近で近所の人達によって発見されました。

 台風前夜はちょうど十五夜の満月にあたるので、その子供は昼間か
ら母親にだってナシやだんごをお盆に盛り、ススキを供え、雨の降るなかを子供心から月の出るのを待っていましたが、思わぬ惨事に遭い、ナシをのなかにしっかりとだきしめたまま死んでいる惨しい姿を見て、みんなは同惰の涙を流さずにはいられなかったと云います
 
 堀江五番通り四〇一番地付近の長屋に住む一某(氏名不詳)は、家が低地
にあるので、堤防が決壊すると同時に浸水し危険な状態になったので、両親は八歳の男の子を大きな樽に入れ、高いところに置いたところ、家屋は水勢に押されてばらばらに崩壊し、両親は行方不になってしまいました。 台風通過後駐在所の巡査が、何気なく水のなかに漂っている樽のふちに手をかけたところ、樽の中から、半ば失心状態の男の子がっこりと頭をもたげたので、巡査は驚いたそうでが、幸運にもその子供はかすり傷一つ負わず九死に一生を得たと云います
 
 猫実一五三番地熊川万吉は、消防組の使丁をしていましたが、平素から責任感が厚く誠実な人でした。大津波が襲来する直前に身の危険も省りみず、町内を「津波が来るぞう」と大声で触れ歩いた。これを聞いた人達はいち速く安全な場所に避難し、危うく助かった者が多く、同氏の犠牲的行為は町民から感謝されました。
 
 この一大悲惨事のなかにあって危険と戦いながら、ある者は濁流に飛び込み溺れようとする者を救い、あるいはべか
を操り、女、子供を安全な場所に避難させ、濁水に没しようとする家屋の屋根を破り、なかにいる者を助け出すなど勇敢な者が多く、これら義侠に富む人々に後折原県知事は賞金を贈り、その名誉を顕彰したと伝えられています

■そして昭和に入り、同411月に火災が発生し堀江で6戸を消失しました(町史による)。 ・・と紹介したのも実は青べか物語の「土提の冬」の章で、浦粕座で火災が発生した様子がかかれています。
『外は雨、私は机に向かっていた。・・・寒さの厳しい夜で、火鉢を抱えているのに・・』と続く。
 
 推測の域を出ていませんが、
11月で寒い時期でもあるし、 「土提の冬」の章でも『寒さの厳しい・・』とあるので、多分この時に浦粕座が火災に遭い、6戸が消失したのでは・・と思っています。
但し、東京新聞出版局発行「青べか慕情」の木村久邇典氏によると山本さんの浦安生活は昭和3年8月から翌4年の9月下旬までで・・」とありますので、これが事実ならば一年のズレが生じます。

 左の写真は浦安橋下流から舞浜方面が見えます。