もうひとつの浦安物語 P7

 
 ■汚物処理工場建設事件
 更に青べか物語の「浦粕の宗五郎」の章に汚物処理工場建設の話しがあります。それによると
『根戸川の下流、沖の百万坪の地はずれに、某企業家が汚物処理の大規模な工場を建てようとし、県へ許可を申請したとか、すでに許可をとったとかと云う噂が広がった・・』と云う出だしです。
 これは浦安の死活問題となる・・と云うので町内の機運も盛り上がり、第一回の町民大会が「梅の湯」で開催されました。はじまってすぐ古びた印半纏の下に、パンツをはいているだけの若者が壇上に上がり、「演説会もくそもねえ、しゃべるだけでとめられるものじゃねえだ。会社のやつらをぶっ殺せ、おらが佐倉宗五郎になるだ」と演説をはじめた。とたんに巡査が「演説会は解散!」と叫び演説会は中止になったとあります。
 第二回目は浦粕座でありましたが、また例の青年が壇上で同様のコトを云い、巡査がそれを止め「解散」と・・、こんなことが五回くりかえされました。結局蒸気河岸の先生は『汚物処理場がどうなったか、私は覚えいない』で終わっています。
 町史によるとこの事件は昭和4年4月上旬の頃、東京有楽町の報国肥料株式会社が沖の百万坪と呼ばれる土地を借り受け、ここに東京市から伝馬船で糞尿を運搬し、乾糞置き場を建設すると云う計画でした。これを県が地元に一言の説明をしないまま許可してしまった・・で大騒ぎになったことが掲載されています。結局衆議院議員等も動員しながら、半年後にはこれを撤回させることに成功したそうです。半年かかったとのことですので、年末には解決していたのです。もう浦安から脱出した後です。・・・・と青べか物語には面白い話しがいっぱい詰まっていて、私の心を惹きつけます。
 
■本州製紙事件
 もうひとつ、大きな紛争事件を紹介しましょう。これは昭和33年12月25日「公共用水域の水質の保全に関する法律」が制定される発端となった事件です。

 この4月7日のことです。江戸川の水はどす黒く濁り、町の沿岸から葛西沖一帯にかけて海水が変色し、魚が白い腹を上に向けて浮き、貝は口を開けたまま死滅すると云う事態が発生しました。
 これを見て驚いた漁民は漁業協同組合に報告し調査を依頼しました。組合で調査したところ、この黒い水は東京都江戸川区東篠崎町5181番地所在の「本州製紙江戸川工場」から放流されていることが判明しました。当該会社は昭和32年10月、同工場に「セミケミカルパルプドラムバーカー」を新設すべく計画し、東京都に出願し同年末に許可を受けたものでした。
 ドラムバーカーは黒い悪水を多量に排出することが予想されたので、都では「設置を許可するにあたり、直接廃液を江戸川に放流しないように沈殿池を作るべきである」と指示しましたが、会社側は「この設備は他府県の例ではいまだに迷惑をかけたことはない」と答えたので、都はその言葉を信用して許可したものでした。

 左の写真はその舞台となった江戸川河畔です。江戸川区篠崎はこの上流。