もうひとつの浦安物語 P8

 
 町では漁業協同組合と会社で合同調査を行い、被害状況を確認しました。また漁業協同組合の役員一行は東京都建設局に出向き、悪水放流をただちに停止するように申し入れもしました。

 5月23日には浦安町以外の、南行徳、行徳、葛西、城東、深川、荒川の各漁業協同組合は個別に会社側と交渉しましたが、会社側は一片の誠意も示さず操業を続けました。
 翌24日に自動車に分乗して工場に集合したところ、放水管から悪水を垂れ流されているのを見て、激高した漁民は工場の窓ガラスを破ったり、マンホールに煉瓦などを投げ込み、流れ出す悪水を止めてしまいました。
 これ以降数回にわたり会社と各漁業協同組合との間で交渉が行われました。会社はこれまで通り操業したい、漁民側は無害での放流でなければ承認できないし、今までの補償を提示して欲しい・・と平行線が続きます。さらに度重なる会社側の不信行為に憤慨した漁民は、6月10日に町民大会を開催しました。
 その中で、「本州製紙江戸川工場は、ただちに毒水の放流を停止せよ」「損害補償についてその損害を調査し、これに基づく生活権の補償を要求する」決議を、満場の賛成を得て成立させました。大会終了後、漁民を中心に各団体を加えた800名は国会と東京都に陳情すべく、バス10台に分乗して出発しました。
 
 
 東京都では指導部長と設備課長の両名が即座に工場に行き、放水を中止させるように要求し承諾を得ました。
 一行はバスを連ね工場に大会決議文を渡しに向かいました。工場では既に情報をキャッチし、正面の鉄扉を閉ざし、一行が工場内に入ることを拒みました。
 ここで漁民達は鉄扉を破って工場内になだれ込みました。そして事務所、倉庫、会議室、女子休憩室などに投石したり、これを止めようとした従業員とのこぜり合いも始まり、あたりは騒然たる状況になってきました。
 工場側の要請で小松川警察署員が突入し、漁民と警察官との間に大きな争いが始まりました。結局ここでは4名の漁民が器物毀棄現行犯で検挙されました。その後再び衝突し、漁民の中から重軽傷者105名も出してしまいました。

 その後、国会も巻き込み決算常任委員会等で参考人を招致して交渉したりしました。また国会議員が調査のために来町したり、浄化装置と沈殿地の設置とか、補償問題をめぐり長い間対立が続きましたが、千葉県知事の斡旋により、紆余曲折を経てようやく解決を見たのでした。

 前述したようにこの事件がきっかけとなり、同年12月25日に「公共用水域の水質の保全に関する法律」が制定されたのでした。
この事件に参加した元漁民も元気にしており、時折話しを聞く機会があります。


★本州製紙とは・・
 もともとは王子製紙。創業は1873年(明治6年)2月。1893年(明治26年)には創業地である王子の名を冠し、王子製紙と称した。1933年(昭和8年)に大手製紙メーカー2社と合併し、日本国内のシェア80%を占める巨大企業、いわゆる「大王子製紙」となったが、1949年(昭和24年)8月に過度経済力集中排除法によって苫小牧製紙・本州製紙・十條製紙の3社に分割された。このうちの1社、苫小牧製紙が現在の王子製紙の前身である。

 苫小牧製紙は1960年(昭和35年)に2代目となる王子製紙の社名に復帰したが、1993年(平成5年)の神崎製紙との合併に際して新王子製紙に社名を変更した。その3年後の1996年(平成8年)10月1日に初代王子製紙の分割会社の1社である本州製紙と合併し、現在まで続く3代目の王子製紙が発足した。なお、1968年(昭和43年)に分割会社3社の合併が発表されたものの実施には至らず、十條製紙は日本製紙として別の道を進むこととなった。

 左の写真は当時その舞台となった江戸川を船団を組んで抗議に向かう浦安の漁民。(浦安市HPより転載)