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浦安のマップです!

浦安マップ

 浦安市は、保元2年(1157年)には既に集落が形成されていたといわれています。その頃住民は塩を焼き、魚貝類をとるかたわら田畑を耕し生活をしていました。
 ところが東京湾につき出た低地のためたびたぴ高潮の災害にあい、いくたびか離散し、いつまでも寂しい漁村であったといわれています。
 明治22年4月1日堀江村、猫実村、当代島の三村合併によって浦安村となリました。(浦安の誕生)そのときの戸数は1,040戸、人口は5,946人でした。
 その後、浦安村は順調な歩みを続け、明治42年9月1日町制を施行し浦安町となリました。昭和56年4月1日市制を施行し浦安市となリました。そのときの戸数は20,620戸、人口65,662人でした。

<地名の由来の紹介>
●浦安
 初代村長新井甚左衛門(明治22年5月就任)が本村は漁業が最も重要な生業であることからこの漁浦の安泰を祈願する意味で、浦安村と名づけられたともいわれ、また一説には日本国は昔「浦安の国」と称したことから、この名を採用したともいわれています。
●堀江
 鎌倉時代に小さな港をすでに作りもっていたことから、この地を堀江と名づけたといわれます。
●猫実
 鎌倉時代に永仁の大津波にあい、村は大きな被害を被りました。その後地域の人達は豊受神社付近に丈夫な堤防を築きその上に松の木を植え、津波の襲来に備えた。それでもう、この松の木を越さじとの意味から「根越さね」といい、それがいつの間にか猫実と呼ばれるようになったと云います。
●当代島
 鎌倉時代に田中十兵衛が初めてここを開墾してから人が住みつくようになりました。それから住民はこの土地を当代(現代の意味)にできた島であることから当代島と名づけたと云います。
●富岡
 ここには「富岡」という人が経営する養魚場があって、町の者から「富岡の池」と呼ばれ親しまれていたので、この名がつきました。
●弁天
 漁業関係者の間では、「弁天湾処」と呼ばれていたところからこの名がつきました。
●今川
 漁場から境川河口に通ずる水路は、正しくは「江間川澪」というが漁民はこの澪を「いまっか」あるいは「いまがわ」と呼んでいました。この地区は「いまがわ」に接続していることからこの名がつきました。
●入舟
 この地区は、漁場から帰る漁船の水路の入口にあたるところからつけられました。
●美浜
 この地区は、遠く房総の山々を望み干潮時になると美しい砂浜が一帯に連なり、文字どおり美しい浜であったことからつけられました。


●海楽
 貝がたくさん捕れたので「貝えらく(多く)得ん」にちなんで「海楽園」の名がつけられたといわれ、戦前には行楽地として都会の人々でにぎわったそうです。
●北栄
 北部土地改良区の「北」に位置しており市川市と隣りあっているので北境となっていたが、この地区に浦安駅があることから、将来発展することを望んで「北栄」と名づけられました。
●富士見
 この地先の境川には、もと富士見橋が架かり橋の上から晴天のときには遠く富士山を望むことができたので、これを記念してつけられました。
●舞浜
 東京ディズニーランドが建設される地域であったため、アメリカ合衆国のディズニーワールドの近くにあるマイアミビーチにちなんでこの名がつけられました。
●日の出
 浦安市の最も東に位置し、この地域から日が昇るところからつけられました。
●明海
 さんさんと太陽が輝く「明るい海」にちなんで名づけられました。
●港
 昭和48年の総合開発計画で、この地区が将来、鉄鋼流通基地の中心的な位置となっており、港としての利用が考えられることからつけられました。
●千鳥
 かつてこの地は「鳥棒(とりぼう)」という漁場であったことからつけられました。
●高洲
 「千鳥」同様、埋立て前の漁場名称を生かしてつけられた。
●鉄鋼通り
 ここには都内の鉄鋼材販売業者によって作られた鉄鋼団地があるところからつけられました。
●東野
 この地区は堀江字東野が大部分を占めているところからこう呼ばれました。

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 昭和23年当時の浦安です。左側に大きな洲が見えますが、今のディズニーランドがあるあたりで、「大三角」と呼ばれていました。山本周五郎は「青べか物語」では「沖の百万坪」と名付けました。


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